The first Time

 

ブライアン・ブライザーとテイルウイップ

 フラットランドライダーが最初に挑戦するトリックのひとつに、テイルウィップがある。でも正確にはそれはフラットランドライダーから考え出されたものではないのだ。スケートパークの帝王、ブライアン ブライザーが最初に決めたトリックなのだ。僕はある夜、バンズパークで彼に、幾つかの質問をしてみた。

 

初めてテイルウイップを決めた年って覚えている?

 いや、でも80年〜82年の間だったと思うよ。カーブ エンドからヒントを得たんだ。カーブ エンドをやろうとして、行き過ぎてしまって、車体を蹴って回してしまった。それからカーブ(縁石)を使う代わりに自分の足でタイヤを止めるようにしてみたのが最初だ。でもフリースタイリンマガジン創刊号に載せる写真用に、裏庭で決めるまでは、決められるとは思ってもいなかった。それを連続写真で載せたんだ。それが同時に、初めて決めた時だった。

その時フロントブレーキはつけていたの?

 いや、つけていなかった。長いリアブレーキ用のケーブルと、ナンバープレートだけだった。それでちょっと難しかったのかな。(笑)フロントブレーキをフォークに付けておくボルトが、当時は異様に長くて、フォークの後ろに飛び出していたんで、テイルウィップをやるために、わざわざフロントブレーキをはずしていたんだ。

決めた時はいくつだったの?

12歳か14歳、そのくらいだった。

当時は自分はランプライダーだと思っていた?

うん、スケートパークライダーだった。ほとんどプールでのライディングしかしなかったな。裏庭にあったハーフパイプは、僕にとっては初めてのハーフパイプだったな。それ以外はスケートパークだけだった。

フラットランドライダーは、キミがテイルウィップを考えた、ってことに驚いていた?

その年の間中ね。でも23年経って、10人くらいの奴が大昔に考え出していた、って聞いたけれど、そんなこと知らなかったし、それがちゃんとしたトリックってことすら知らなかったしね。僕はただやってみただけだよ。(笑)

それが空中でもやるようになるなんて予想出来た?

 いや、全く。そんな風には思わなかったし、そんなにポピュラーなトリックになるとも思わなかった。そうなっちゃったね。

 

クリス・モーラーとバスドライバー

〇バースピンのことだよ

ちょっと歴史の話をしよう。クリス モーラー(S&Mの社長)はなんでも彼流にアレンジしようとした最初のライダーだ。彼のスタイルはダートとストリートを融合させて、すこし彼流のスパイスが利いたものだった。だから、彼がダートでハンドルバーを回転させたとしても、それほど驚くことではなかったかもしれない。

 クリスは1989年に、ネバダ州、レノで行われたABAナショナルレースで、そこら中で、初めてバスドライバーをお披露目した。彼はすでにX-upとワンハンドX-upを決めており、だから、なんでこう、グルッと回せないの?と考えた。彼はピクニックテーブルから飛び降りながら決めたりしていたが、ダートでの初めてのバスドライバーはレノのレースでの事だった。で、最初のを決めた。

 今の変化の早いBMX界で、バスドライバーはバースピンへと形を変え、オリジナルのバスドライバーのように、手をハンドルにつけてクルッと回す代わりに、バーを放り投げて回している。バースピンはじょじょにトップライダーにとって外せないトリックへと進化していった。ライダーはそれを360°の最中にやったり、バリエーションの1つとして何回もハンドルを回すようになっている。凄く有名なコンテストライダーや、ハードコアなトレールライダーは、何回転も回すバースピンを「熱い棒」を持つようにと表現する。なぜなら彼らがバーに触りたくないように見えるからだ。バースピンがカッコイイかそうじゃないか、っていう議論は尽きることが無い。クリスが1989年に燃え上がらせた炎が、2000年になっても燃えつづけているなんて考えたのかな、と思う。

 

ケビン・ジョーンズとヒッチハイカー

ケビン・ジョーンズは、文字通り、何年にもわたって、何百という数のフラットランドトリックを編み出してきた。その中でもみんなを一番驚かせたのが、89年に決めたヒッチハイカーだった。当時、すでに創造的なライダーと知られていたケビンだったが、ヒッチハイカーのウワサが広まるなかで、誰もが信じられない、って顔をしていたのを思い出す。

 ヒッチハイカーは、今ではよく知られたトリックの1つになったが、驚くべきトリックを考え出すのと、それを実現する方法に頭をひねるのはまた別の話だ。何回もの電話攻勢の末、彼からヒッチハイカーの生い立ちを聞きだす事に成功した。

 

いつ最初に決めたの?

88年の11月だね。

決めるまでに長いことあった?

88年の夏の間、僕はスカイウェイのツアーをしていた。友達と乗りに行って、ふざけて、「こんなの出来るかな。」って言ってたんだ。自転車を降りたままで、僕は自転車を逆さにして、ヒッチハイカーの体勢を友達に見せた。で、「そうだね、いつかこんなのやりたいね。」って言っていたんだ。僕らはただ、「乗りつづけていれば、いつかは。」って思った。僕はそれをフロントのアンダーテイカーのように考えていたんだ。「フロントでアンダーテイカーをやって、クルっと体を入れ替える」ってね。でも11月になるまで、なんだかんだ言って忘れていたんだ。

結構時間がかかった?それともスンナリ決められた?

 やりたい!って本気で思った時に、何時間か考えた。ただ座って、考えたんだ。「OK,出来るのか?座って、そのトリックのために時間を費やす価値があるのか?」って。最初にやり始めたのは南カルフォルニアに休暇で行っていた時だった。休暇のほとんどを、このトリックのやり方を考えるのに費やした。実際練習し始めて、初めて決めるまで4日かかったけれど、まだ完璧じゃなかった。最初に決めた時は、ウイップラッシュから入って、エルボーグライド、それから車体を落っことして、そのバランスポイントを学んだ。結構遠くまでいけた。4050フィート(1215メーター)くらい。でも反対側に抜けたりするようなバランスのツボはまだ分かっていなかった。それでいきなり自転車を前に突っ込んで、シートをぶつけて、その様子を撮ったビデオを持っているよ。自分で撮ったからね。3日後には全部を通して出来るようになった。右か左から入って、車体を前に落として、手を入れ替えて、カールクラウザーのようにして戻るようにね。

ヒッチハイカーを考え出す前に、何か他の両足をペグに乗せたままのローリングトリックってあった?

 両足を乗せたままのトリックに関してはかなり限られていた。バックヤードと、ロコモーティブとか、ちょっと足を投げ出して、みたいな、でもヒッチハイカーとは似ても似つかないよね。スティームローラーとかは反対側の足もペグに乗っけられるかもしれないけれど、そうしなければいけない理由はないからね。

ヒッチハイカーが完璧になって来て、違うバリエーションとかも考えた?

カリフォルニアでの休暇中、34回決めれて、家に帰って、何日かして、100回くらい決めた後、「こんなん感じで、もっと沢山のトリックがあるはずだ。」って思ったんだ。それがバックパッカーを考え出したキッカケだった。でもヒッチハイカーを決めるのと同じくらいの時間がかかった。1回決めるのに1週間、完璧にするまでに1ヶ月くらい。最初に思いついたのはクロスフットだったけれど、真っ先にやりたいものではなかった。ちょっとバックワーズ(後ろに走るバージョン)にも挑戦したけれど、それも焦って決めようとするほどは、気合を入れなかった。ヒッチハイカーからすぐにバックパッカーに目が行って、それを前後に進みながら出来るようにする事に専念していた。

ジャグラーに関しては?

いつからやり始めたかは定かでないけれど、ヒッチハイカーからスティームローラーに繋ごうと、またはカールクラウザーに繋ごうとしていたところから始まった。1回転半することだけで、ジャグラーに関しては考えていなかったと思うけれど、それをずーっとつなげられることに気が付いたんだ。でも連続させるのはそんなに凄いアイディアではなかった。一回できればもっと出来るし、それはそんなに大きなステップでは無かった。

ヒッチハイカーが雑誌に初めて載ったのはいつ?

 89年、9月号のFleestylinマガジンだね。初めて決めてから半年が経っていた。テキサスのオースチンで行われた大会に行って、プロは誰も来ていなくて、それが僕にとって最初のプロとしてのコンテストだったんだけれど、運良く雑誌に取り上げられたんだ。

その名前はどこからとったの?

もう思い出せないけれど、特に理由は無かった。とにかく直感的に頭に浮かんできて、何かに書いたか、または誰かに言ったことでそう呼ばれるようになったんじゃない?

 

〜ウッディ・イットソンと540

 540を決めるその男は、バートランプ上の少年とは違う次元にいた。多くのライダーがスピントリックをやるが、高い位置で540を決める事、そのバリエーションを見せる事は、本物のバートライダーの証でもある。信じられないかもしれないが、この近代バートで、もはや欠かすことの出来ないこのトリックは、ランプの腕前より、フラットランドの技術で知られた男によって考え出されたのだ。

 1979年、ウッディ・イットソンは初めてランプライディングというものに挑戦した。以前からストリートや、ジャンプはやっていたものの、初めてバートに入ったのは、ブライアン・スカラが彼の自転車屋の裏にクォーターパイプを作った時だった。

 「そのランプは8フィート(2.4メートル)の高さで、8フィートの幅だった。」ウッディは語った。「昔、BMX Action Trick Teamが使っていたのは6フィート(1.8メートル)の高さだった。それでもかなり怖かったが、34時間、ブライアンの店の裏で練習して、バートのやり方を覚えたんだ。」結局、スカラのクォーターパイプはマーティン・アパリジョの家に収まることになったが、その場所こそが、ウッディが180以上のスピンを思いついた場所だった。

 「ある日、僕らはマーティンの家で乗っていた。」ウッディは言った。「それで180をやったんだけど、回りすぎて、ランプ横に落っこっちゃったんだ。それで考えたんだ。「僕は360が出来る、それが始まりだった。ランプを右に左に行ったり来たり出来るようになるとすぐに、ランプの真ん中で360をやって、後ろ向きに戻る事をやり始めた。である日、ランプの一番高いところに近いところで360をやってみたら、回りすぎた。後ろ向きにランプに戻った時、コースターブレーキの上に足が乗って着地して、前輪がランプの横にはみ出してしまった。それがコースターブレーキがあることで、フロントを振り回すのに役立ってくれて、前向きに回って着地したんだ。

 マーティンは僕の方をみて、「おい、お前はラッキーだよ、そいつはすげーよ」ってね。それから540を練習し始めたんだ。最初は360だけ回って、残りはコースターを使って180回っていたんだけど、ランプの頂点に近いところで技をやるようになると、もうコースターを使う事が出来なかった。それで空中で回転して、前向きに着地するように練習したんだ。

 540がクォーターパイプで決まるようになると、後はそれを他のトップライダーの前で披露する事だけだった。「僕らは79年の勤労感謝の日に、ナッツベリーファーム(カリフォルニア、ロサンゼルス近郊に古くからある遊園地。)でショーをやった。」ウッディは思い出すように語った。「大勢の観客がいたよ。エディ・フィオラと何人かがその場にいた。ショーの最後に、僕が540を決めると、みんな、「何が起こった?」ってね。そのあとマイケル(ドミンゲス)のためにバンズのランプでもやってみせた。

 80年の頭にPedal Powerでショーをやったんだけど、R.L.オズボーンやマイク・バフ、その他にも大勢のライダーが540を見るためにショーに来たよ。」

 後に、マイク・ドミンゲスは540で有名になったが、ここでウッディは、マイクこそが今までで最高の540を決めた男だ、ということを裏付けてくれた。

 「多分、今までみた540の中では、マイクのが一番クレイジーだったね。マイクは810フィートくらいの幅で決めていたからね。あれは確か80年代、ニューハンプシャーで行われたBattle of the Starsコンテストの会場にあったマウンテンデューランプだったよ。そのランプは8フィートの高さで8フィートの幅があり、でっかいペプシの缶をあしらったハリボテが置いてあった。誰かがその缶の上に椅子を置いて、さらにその上に立ったけど、マイクはそいつの頭を超えて540を決めたんだ。

 

マット・ホフマンとハンドレール

 そんなにBMX歴が長くないなら、今日みんながやっているトリックを誰が考え出したのかなんて分からないだろう。そのへんを知ってもらうために、かつて、そのトリックがどのように最初、生まれたのかを物語にしていく。初めに、マット ホフマンに自転車でやった最初のハンドレールについて語ってもらった。そう、マット ホフマンが最初にやったのだ。

 

1999年 3

 昔々、「やってみたい?」という名のハンドレールが、自転車に跨った少年に滑り降りれるんじゃないか、というアイディアを与えた。ちょうど彼の友達、「バートランプ」でやるように出来るのではないか、と。急角度で、デッキが無いのを除けば。「うーん。」BMXという名のマシーンに跨った少年はつぶやいた。「そんなに悪い考えじゃないな。」

 最初、その少年は、チェーンをレールに乗せるのカッコイイんじゃないか、と考えたが、幾多の挑戦の末、少年は血まみれに叩きのめされた。彼はバランスポイントがいつも定まらないことから、もっと確実な方法でやって見るべきだ、と決めた。それで、自転車の下につける、後に「バッシュ(ぶっ叩く)ガード」と呼ばれる事になる奇妙な仕掛けを考案したが、彼はそれがバッシュ(ぶっ叩く)ためでなく、滑るために考え出されたので、そう呼ばれることが理解出来なかった。この事は、落ち込んでいた少年を、もっと打ちのめした。

 ここで「Mr Peg」が物語に現れる。「Mr peg」は言った。「俺もやらせてくれるかい?俺は何にも出来ないし、君がおかしなフラットランドトリックをして僕を困らせた。フレームスタンドバースピンの後はキミもフラットでは何も出来ないことを証明した。俺にもやらせてくれてもいいだろ?」

 「うーん」その少年は言った。「そんなに悪い考えじゃないな。」その少年と、レールを滑り降りる事に自信が持てない「Mr Peg」はオクラホマ州中を「初心者向け」レールがないか探し回った。少年は「Mr Peg」が言うまで気がつかなかったような平らなレールを見つけた。今でさえそういうレールはそこらかしこにあるが、とにかくその少年はレールを彼のペグで研ぎつづけた。うまくなるために。だがいつまで立ってもさらなる挑戦へ心の準備が出来なかった。階段に備え付けられた恐ろしいレールへの。

 ある日、少年は倒すべき相手を、何時間もにらみ続けた。少年は“やってみたい?”レールをやっつけるのに、ただひとつの方法しかないと決めた。(ところで、少年の自転車の名前はその価値があるものに対して“やっちまえ”という名前だった。)その少年はハンドレールに触り、それが彼に希望を与えてくれるかどうかということを忘れ去った。そのレールの近くにいたスケーターは、キチガイを見るような目で少年を見ていた。

 しかし少年は言った。“やっちまえ!”と。“やってみたい?”レールはとにかく彼には挑戦する価値のあるものだったのだ。

 ライバルをやっつけることに成功した少年は、街中のハンドレールを滑った。まさに“探し出したらやっつける”のが使命のように。一見、簡単そうなレールが少年を“戦艦”BMXから振り落とすまでは。彼はレールに付いた新しい血を確かめ、それが「アルミ」という材質で出来ていることに気が付いた。アルミは「Mr Peg」がクロモリなど、他の材質からすると、とにかく毛嫌いするものだった。少年は彼の研究室に向かい、少年の友達のスケータ用語で言うところの「coper」という器具を作った。PVCの塊を手に入れて、ネジの上部にそのカケラで覆った。少年はそれがバッチリ決まった事に喜び、そのアルミ製の相手にクロモリのペグと思わせ、やっつける事に成功した。

 鉄やアルミのレールのカタチをしたものを滑り降りることを続けた末、PVCは剥がれ、クロモリの地が見え始めた。アルミの敵はライバルに気づき、少年を「戦艦」BMXから振り落とし、少年の指をへし折った。少年がレールを滑ろうと飛び上がった時、少年の指を大きく後ろに折り曲げた。傷つけられたままにされた。次のライバル「Mr 900」のために。やっつける彼はハンドルバーを作るために鋳型を作って、そして・・・つづく。

Mat Hoffman

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